12年ほど前から日本で活発になったヨガムーブメント。いまも覚めることはなく、むしろ年々盛んになっています。現在、フィットネスクラブやカルチャーセンターにはヨガクラスがあり、都市部には数多くの専門スタジオがあります。また、書店にいけばヨガの入門書が必ずあります。
このとおり、今の日本ではヨガをはじめようと思ったときには、すぐに始めることができます。
ところで、初心者がもつヨガの達人のイメージはどのようなものでしょうか?
とんでもなく柔かい体で、普通の人ができそうにない難しいポーズをとる・・・
そんなイメージではないでしょうか?
筆者がヨガを始めたときもそのようなイメージを持っていました。
ヨガは、カラダ柔らかくなければいけないのか?
柔軟性があればできているのか?
今回は、そんな素朴なギモンについて改めて考えてみます。
1.あらためて、ヨガの定義
ヨガの語源はサンスクリット語で「(馬や牛などに)くびきをかける」を意味する言葉「yuj(ユジュ)」です。
ここから「yoga(ヨガ、またはヨーガ)」という言葉が生まれました。
ヨガ修行者が心とカラダを調和させてコントロールするテクニックは、まるで家畜を馬車や牛車につないで操るように見えたのでしょうね。
この言葉からは、体を柔らかくする体操のイメージは浮かびません。
ちなみに、古典ヨガは次の4つに分類されます。
ジニャーナ(ジュニャーナ)ヨガ
主に哲学的な思索や瞑想をおこないます。抽象的な内容のため、ビギナーにとっては敷居が高いヨガだとされています。
バクティヨガ
信仰をとおして心身を浄化していきます。インドでは盛んですが、日本ではあまりなじみのないスタイルです。
カルマヨガ
奉仕活動などの無償の行為を実践します。ボランティア活動をとおして心身が清らかになるといわれています。
ハタヨガ
アーサナとよばれる運動や体の訓練を行います。今日の私たちのイメージにあるヨガに一番近いものです。
ラージャヨガ
「ヨーガ・スートラ」という聖典で体系的にまとめられたヨガです。運動(アーサナ)と呼吸法(プラーナヤーマ)、瞑想(ディヤーナ)をバランスよく組み合わせて行うスタイルのため、多くのヨガ流派が影響を受けています。
2.ヨガポーズのなりたち
さて、「ヨガ」といえば、アーサナといわれるポーズや運動が思い浮かばれるのですが、そもそもなぜヨガポーズが生まれたのでしょうか?
もともとヨガ行者は主に瞑想を実践してきました。
みなさん、瞑想についてはどのようなイメージを持っているでしょうか?
おそらく、姿勢を正して特殊な座り方で座って、手も一定の組み方をして、ひたすらジッとしている・・・という姿が目に浮かぶのではないでしょうか。
まさしくそのとおりで、ヨガ行者は、長い時を越えて行者たちのあいだで伝えられてきたテクニックを駆使して瞑想をします。
テクニックとは、瞑想に効果的な座り方(アーサナ)や手の組み方(ムドラー)などです。
時には長い時間瞑想をすることも珍しくはありません。
長時間、同じ姿勢をとっているとどうなるでしょうか?
普通に考えると、体調がおかしくなりますね。また、足腰も弱ってきます。
体調や体力が落ちると、瞑想することも当然困難です。
そこで古代のヨガ行者は、瞑想や思索を長時間続けることができるように、体調を整えたり体力作りをするテクニックを生み出しました。
それが、今日私たちが親しんでいるヨガポーズやそのほかのヨガテクニックのルーツなのです。
3.ヨガポーズのエッセンス
より充実した瞑想をするために生まれたのが、ヨガポーズ。
ネコのポーズやコブラのポーズなどでは筋肉や関節を無駄なく効率よく動かします。
また、ウサギのポーズや逆転のポーズなどでは頭頂や肩などの特定の部分を適度に刺激することで、身体機能を活性化します。
そして、舟のポーズやバッタのポーズではインナーマッスルを鍛えていきます。
これらのポーズに、もともと特殊な器具は必要ありません。
小さなスペースさえあれば体調を整えて生活に必要な筋力が維持できます。
ひとつひとつのヨガポーズはシンプルですが、そこにはヨガ行者の智慧がつまっているのです。
4.体が柔らかい人はヨガができているのか?
以上のことから、ヨガポーズの最終的な目的は「瞑想するためのカラダ作り」ということがわかります。
つまり、カラダを気持ちよく動かすことができて、充分機能していることがポイントです。
ヨガポーズなどのヨガテクニックを日々コツコツと行うと、基礎体力がついてきます。
それにあわせて柔軟性もついてきます。
筋トレや他のスポーツのように劇的に体力がつくものではありませんが、週に一度でもヨガを習慣にしていると、いつのまにかカラダが快適に動くようになっていくのを感じたり、様々なストレスに強くなったと感じるでしょう。
特に、カラダが柔らかくなった体験をする人はとても多いです。
逆に、ヨガをやっても思うようにカラダを動かせなかったり、同じクラスの人にくらべて自分はカラダが硬い!と感じる人も少なくないでしょう。
さらに、雑誌や広告、インターネットなどで涼しい顔で難しいポーズをサラリとこなすモデルの写真を見て「ヨガってなんて難しいんだろう」「自分はヨガに向いてないのではないか?」と落ち込むこともあるのではないでしょうか?
そこで思い出していただきたいのが「ヨガの目的」です。
「ヨガの目的」は心とカラダを調和させてコントロールすること。
そして自分自身に向き合うこと、自分自身を見つめること。
これらができていなければ、たとえどんなにカラダが柔らかくて自由自在に動かすことができても、その人がやっていることは「ヨガ」ではないし、ましてやヨガができていることにはなりません。
逆にいうと、その人のカラダが周りより硬くても、硬いカラダを動かすことをとおして自分と向き合うことができていれば、その人は立派なヨギー(女性の場合はヨギーニ)なのです。
おわりに
まだまだ日本ではヨガといえば「柔軟性」がクローズアップされています。
でも、少しずつですがヨガへのイメージが変わってきているのも確かです。
自分を見つめること。
自分という存在を大切にすること。
さらに自分に関わるひとたちも大切にすること。
そして心をシャーンティ(平安)で満たして日々をすごすこと。
人々の心を動かすことが刻々とおきている私たちの社会。
ヨガの智慧は、こんな時代に生きる私たちへの、古代の賢者からの時を超えたステキなギフトかもしれませんね。