ヨギー・ヨギーニの皆さんこんにちは。
サンスクリット語が読み書きできる方は日本ではかなり少ないと思いますがまずは一歩づつ!
サンスクリット語のプチレッスン、スタート(^∇^)!

アヒンサー

アヒンサー

アヒンサーの語のアは「否定」を、ヒムサーが「殺す」「暴力」を意味している。
これはたんに「殺さない」というだえの消極的な禁止ではなくて、更に大きな積極的ない意味、すなわち愛の心を意味しているのである。
この愛は宇宙万物のすべてを含む心であるということができる。
われわれは皆、同じ父、すなわち神の子だからである。
ヨギはいかなる物でも人でも、それを壊したり殺したり傷つけたりすることは、その創造主である神そのものを侮辱することであると理解している。
人間は、食物とするために、あるいは自分の身を危険から守るために何かを殺さなくてはならず、罪を犯すことによって生きているのであることを自覚しなくてはならない。

ヨガを実行するには、菜食の方がよいとされているが、菜食主義者だからといって性格が暴力的であるならば、それはヨギであるとはいえないのである。
血に飢えた暴君でも菜食主義的であるかもしれないからである。
暴力非暴力は心の状態であって、食事のことではないのである。
このように暴力は、道具そのものに存在するのではなくて、道具を使う人の心の状態に存在するのである。

アヒンサーは五戒の中でも首位におかれるものであって、インド人が最も重んずる道義である。
ガンジーの政治運動がこの精神を以て貫かれていたことは、人の知るところである。

参考文献:ハタヨガの真髄・解説 ヨーガ・スートラ

 

シャウシャ

シャウシャ

シャウシャ:清浄、聖らかさ

体の浄化と心の聖化が、幸福になりうるものである。
水浴のようなよい習慣は、体を外から浄め、アサナやプラーナーヤーマは内から浄める。
アサナによって体全身の調子を整え、生活の乱れによって生じた毒素と老廃物を完全に取り除く。
プラーナーヤーマによって、肺および血液を清め、神経を浄化する。
しかし体の浄化より、もっと大切なことは心を浄化することである。
すなわち、憎しみ、欲望、貪欲、錯覚、うぬぼれのような乱れた欲望と感情を浄化することである。
さらにもっと大切なことは、不純な思考を追い払って知性を聖化することである。
心の不純は、バクティ(崇拝・信仰)という水によって洗い聖めることができる。
知性・理性の不純は、スワディアーヤ(自己の霊性の探求)によって焼き消すことができる。

この内なる浄化は光と喜びをもたらすことができる。
それはまた、慈悲心を生み出し、苦痛・失意・慈しみと不幸を取り除くものである。
慈悲心が深くなると、他人の過ちや欠点だけでなくて、美点が多く見えるようになってくるのである。
他人の美点を尊敬することは、自己を尊敬することであり、この心は悲しみと困難に面したときの助けとなる。
また、心が澄んでいるときには精神を統一しやすいし、精神集中によって、意識と感覚をコントロールすることができる。
そうしてそのときには自己の体という「神殿」に入る用意ができており、同時に心という「鏡」の中に本当の自己を見ることができるのである。

食物を摂取する心も手段も聖なかでなければならない。
すべての命を支えている食物は、神に奉仕する力を与えてくださるものであるという自覚のもとに、拝む心で食さなければならない。
この拝む心と行のときに食物も浄化されるのである。
※アイアンガー師の解説より

マナス

マナス

manas:マナス
揺れ動く考え・心

揺れ動く働きがあることで喜んだり悲しんだりイライラしたり笑ったり感情が生まれ、揺れ動くことで思いやり、情緒的な考えが生まれます。
揺れ動くことで外の世界、内の世界の情報を絶えず捉えているとっても大事な心の働きですね。

瞑想中、心が揺れ動くことが悪いことではなく、揺れ動く心の性質の大切さに、デーヴァターの働きに感謝することができたら心の働きを認めその働きから自由になりますね

サンスクリット語は主語の形で一人、二人、三人以上なのか、
〜が、〜を、、〜によって、〜へなのかが一つの単語から分かります。
プチサンスクリット語レッスン

写真のサンスクリット語は「グル」という言葉の変化です。※写真上段

◇写真中段
グルフ:グルが(一人)
グルー:グルが(二人)
グラヴァハ:グルが(三人以上)

◇写真下段
グルナー:グルによって(一人)
グルビャーン:グルによって(二人)
グラビヒ:グルによって(三人以上)

マントラの中でグルという言葉も様々な変化で現れています。
現れている言葉の変化の規則が理解できると意味も掴めてきてチャンティングも楽しくなります♪

グラベーナマハ

グラベー:グルへ(一人)
ナマハ:感謝の気持ちを表します。