以下:ヒンドゥー教 インドという謎から抜粋

菜食の材料といえば、くだもの、野菜、穀物、イモ類、豆、乳製品があげられる。
これは世界のどこでも、おおよそ同じである。インドも例外ではない。
しかし菜食主義者を自任するインド人が、おのおの、同じ範疇、同じ範囲の食べ物を口にしているかというと、そうでもない。

たとえば、菜食主義者を自称する人の中にも、魚や卵を食べる者がいたりする。
菜食主義といえども、魚や卵は許容されている。
東インドのベンガル地方は魚が豊富に捕れ、ヴェジタリアンを自称する最上位カーストのバラモンのあいだにすら、魚を食べる習慣が見られる。

最近では、インド国民の体位向上を願う政府キャンペーンの甲斐もあり、菜食の者でも鶏卵をとることは珍しくなくなっている。
「卵は菜食である」(Egg is vegetarian)というのが、その標語である。
卵を食べるようになった菜食主義者は、「ヴェジタリアン」をもじって、皮肉混じりに「エッグタリアン」とか「エッギスト」などと呼ばれたりする。

例。
この「卵」をめぐって、奇妙な理屈が唱えられることがある。有精卵を食べるのは肉食に当たるが、無精卵なら菜食に含まれるのだという。
この考えは、厳格な菜食主義者にとっては到底受け入れられるものではないが、隠健な(?)菜食主義者は、この理論を盾に、正々堂々と鶏卵(無精卵)を口にできる。
このように「卵」は、多くのインド人の生活の中で、いわば菜食と肉食の境界領域を形作っているのである。

卵の例からもわかるように、肉食と菜食の区分類は、その人の生活習慣、信条、考え方を反映して、個人個人で微妙に異なっている。
動物食と植物食との境目が、純粋に生物学的な境界ではなく、「文化」と密接に結びついた人為的な区別に基づいているわけである。
さらに、こうした食べ物の定義をめぐる尺度の微妙な「揺れ」は、植物食として誰もが疑わないはずのない食べ物のなかにまで観察されるのである。