優しいギータの教え~ギャーナ・ヨーガって何?~
もっと身近に、簡単にクリシュナの教えを感じてみましょう。
前回カルマ・ヨーガの時に説明しましたが、カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)とギャーナ・ヨーガ(智慧のヨーガ)は、物事の表裏のように密接した関係です。

単語だけだとピンと来ないかもしれませんね。例をあげると…

例1)

カルマ・ヨーガ ⇒ ヨーガ(パタンジャリのヨガ・スートラ、8支則)
ギャーナ・ヨーガ ⇒ サンキャ(2元論を唱える学派)

例2)

カルマ・ヨーガ ⇒ ミーマンサ(宗教的儀式の遂行重視)
ギャーナ・ヨーガ ⇒ ヴェーダンタ(クリシュナのギータも含む。ヴェーダの学術部門)

こんな感じで、私たちがイメージしたり、実際に行っているヨーガも、ギータの説明するカルマ・ヨーガやギャーナ・ヨーガに当てはまります。

インドに行くと、哲学だけを集中して極めようとするギャーナ・グループや、慈善活動などの行為を主な活動としたカルマ・グループも多々あります。
そこで、どうしても極端な活動をするグループをイメージしがちですが、ギャーナ・ヨーガも、カルマ・ヨーガも、私たちにとって、もっと身近なものです。

さて、本題です。クリシュナが教えてくれるギャーナ(智慧)とはどのようなものでしょう?

まず、大前提として、行為を行わない人はこの世にはいません。
行為を行いながら、行為の束縛から解放される。そのための智慧です。

バガヴァット・ギータのストーリーを例に出すと、主人公のアルジュナは、今から戦争で戦わなくてはなりません。戦争の相手は、自分の実の家族や友人です。アルジュナは誰も殺したくありません。そこで、師であるクリシュナに戦いの放棄をしたいと相談しました。

クリシュナの答えは、「戦いに専念しなさい。」

クリシュナが戦いを勧めた事に驚いたのは私だけでしょうか?

アルジュナにとって殺し合うべき相手は、実の家族ですから。

もちろんクリシュナは、「人殺し=良いこと」と言っているわけではありませんよ。
アルジュナは王族・士族の家系に産まれました。そのアルジュナにとって、戦うことは与えられた行うべき事柄だと説明しています。
「敗退・勝利」などのあらゆる結果を、同一のものとして考えるべき。
「生ある人にとっての死は必然」であるのと同様に、あらゆる結果は起こるべきして起こること。嘆くべきでないこと。

これが前回も出てきた「祭祀の残り物を食べる」という事です。

(それでも人殺しは良くないと言いたいのは百歩譲って...)

カルマ(行為)から解放されるためにはアカルマン(無行為)を理解する必要があります。
ヨガ・スートラによると、「ヨーギのカルマは黒くも白くもない(PYS4-7)」。
これは、何の結果も生まない行為です。
結果に執着なく、常に充足し、他人に頼らない人は、行為を行っても何も行為していない。
あるべき流れに従っているだけと言いましょうか…。

自身の欲望のために行動しないことで、自身を苦しめるものから解放されるのです。

難しくてなかなか出来ません。だから私たちは色々なアプローチをしています。

ある人は、ひたすら祈るかもしれません。
ある人は、ひたすら座って瞑想に打ち込むかも。
またある人は、ヨガスタジオに行って練習するし、

ある人は、ひたすら経典を勉強して理解しようとするかもしれません。
他人の為の活動(親切や慈善活動)をする人も、自身の修練ため。

クリシュナは、「どの方法も正解だよ」と教えてくれています。

自分の行いへの疑心があるなら、智慧が助けてくれます。
行為への執着を捨てるためには、行為を行う必要があります。

智慧を持って行為を行う=自身をコントロール出来る人は、何からも束縛されません。

自分が行う全て行為は、自分が平和や幸せを得るために必要なもの。
誰のためでもなく、自分のために...。

たまーにキツイことを言っているように聞こえる時もあるクリシュナの教えですが、本当は優しい。すっごくすっごく優しいです。

Hari Om…

この記事を執筆した先生

プロフィールYUKA

yuka先生 (ヨガ講師・バンスリ奏者)

ブログURL
http://s.ameblo.jp/aiiro-beniiro/

インドを拠点にヨガとインド古典音楽の勉強を続けています。様々な形でアシュタンガヨガ、ハタヨガの指導。
・Tattvaa Yoga Shala-Ashtangayoga Teacher training 500hrs. (RYT500 取得)
・International Bansuri Academy 在学中