ヨガの練習で「本来の自分の姿」を感じたことがありますか?
物質世界と切り離された純粋無垢な自分自身です。
何も無いようでいて、無限と広がる静けさ。
それがピーンと来なかったら、ぜひヨガクラスに通ってください♡
ヨガは体験する哲学ですから。
さて、では、二元論て、何なの?という話をします。
一元論にしろ、二元論にしろ、私たちが求めるべきところは同じです。
絶対的に純粋で、終わりのない、至福の状態である本来の自分。
それは、アートマン(=ブラフマン)やプルシャと呼ばれます。
これが、世界の根源だと考えられています。
ところで、このブラフマンが完全に汚れのない純粋な存在ならば、どうして、そこから純粋でない物質世界が生まれてきたのでしょう?
インド哲学では、原因なしに結果は無いと考えられています。
日本的に言えば、火のないところに煙は立ちません。
インド的に言えば、壺は土から出来たもので、土が無ければ壺にはなりません。
では、私たちの思想や物質などの材料は、ブラフマンの中に存在していたのでしょうか?だとすれば、ブラフマンは完全に純粋でない物を含んでしまっていますね…。
それは困った!!!
そんな事はありません。私たちは純粋です。その証明部分が一元論と二元論では違います。
二元論で、純粋な私たちの本質はプルシャと呼ばれますが、世界には物質世界の根源となるプラクリティという別の存在があります。
プラクリティとゆう材料が私たちの見ている世界を形成しています。
本来、私たちの本来の姿であるプルシャは、思考も持たなければ、生まれたり死んだりと物質的な変化もしないのですが、プラクリティの作り出す世界を自分自身の経験と勘違いして見ています。
- 純粋な私たちの本来の姿であるプルシャ(見るもの)
- 物質世界の根源となるプラクリティ(見られるもの)
この2つが存在して、世界が出来上がりました。
2つあるので、この考え方を二元論と呼びます。
ヨガスートラと呼ばれる有名な本で採用されているサンキャ哲学の考え方です。
私たちはプルシャと呼ばれるとても美しい存在で、目の前で何が起こっても、汚されない存在であることを説明しています。
筆者プロフィール
yuka先生 (ヨガ講師・バンスリ奏者)
http://s.ameblo.jp/aiiro-beniiro/
インドを拠点にヨガとインド古典音楽の勉強を続けています。様々な形でアシュタンガヨガ、ハタヨガの指導。
・Tattvaa Yoga Shala-Ashtangayoga Teacher training 500hrs. (RYT500 取得)
・International Bansuri Academy 在学中