以前、ヴェーダンタ(インド哲学の学派)の先生とお話している時に、“Don’t judge!”(評価しない)とゆうことに関してじっくりと教えていただきました。それ以来日常の生活にとても影響を受けています。
「例えば僕の生徒がクラスに遅刻したとして、僕は彼に“悪い”とゆう評価をしたくないんだ。
だって、彼はすでに生まれてから30年も生きているかもしれないけれど、僕は彼に会ってまだ3日目かもしれないだろう。何も彼の事を知らないんだ。もしかしたら、登校中に道で困った人を助けていたかもしれない。彼に聞けば良いかもしれないけれども、遅刻に対して“悪い”と思った時点で、何を言われても言い訳に聞こえてしまうと思わないかい。
もしかしたら、単純に寝坊だったかもしれない。だけど、夜中まで病気のお母さんを看病していたかもしれないしね。睡眠障害かも!そもそも、遅刻した理由なんかで、彼が良い人か悪い人かなんて分からないだろう。」
そうやって、独特の、慣れない英語で話し始めた先生を思い出すと、今でもほっこりと暖かい気分になります。いつでも笑顔の先生でした。
“言葉”とゆうものには色もなければ形もない、匂いもないものなのかもしれません。だけど、人に与える影響力はとても大きいです。日本では「言霊(ことだま)」を信じるように、インドでもネガティブな事を話すと現実になってしまうと信じて、言わない文化があります。
「僕が彼に“悪い生徒”とゆう評価を与えて口にしてしまうことで、彼に悪い影響を与えてしまうんだ。それはするべきじゃない。」
例えば、私があなたに「愚か」とゆう言葉を発してしまったら...そして、その言葉をあなたが受け止めてしまったら、その瞬間からあなたに悪い影響を与えてしまいます。間違った道を歩んでしまいます。つまり、私はあなたの事を傷つけてしまったとゆう事。そして、人に発してしまった言葉は、いずれ必ず自分にも帰ってきます。つまり、私自身を傷つけてしまっているのです。
「どうゆう風であれ、ありのままを受け入れなさい。」
今でも私にとって大きなチャレンジです。
では、ポジティブな評価では良いのでしょうか?
今、あなたに対してとても良い評価をしたとしてみると、どんどん良い印象が膨らんでいって、あなたへの夢を描いていきます。
こんな人であって欲しいと期待を膨らませていきます。
明日あなたに会ったときに、あなたが私の期待していたような行動を取ってくれなかったら。「こんな人だと思っていなかった!」「裏切られた!」と、思ってしまいます。今度は悪い評価の原因になってしまいます。
大げさに聞こえるかもしれませんが、毎日の心の動きを観察してみると、そんなことの繰り返しです。
もう一点大切なことは、私たちが評価をする時、実は現実に対する評価ではなくて、その時の自分の心の状態が大きく反映されてしまうことです。
ポジティブな評価は自分自身の心の状態から生まれてくる。
ネガティブな評価も自分自身の心の状態から生まれてくる。
ヨガの修業が進んで真実が理解できるようになると、正しい評価が出来るそうですが、私が正しい真実を理解できたと評価するのは誰???
と、、悩んでいるうちは無理でしょうね。
「私は真実が分かった。」と思ったら、さらに危険な状態。
だから、今目の前にある真実を真っすぐ見て、受け入れて、味わいます。それに対して良し悪しを評価する必要は全くないのです。
なんだか、生きることが楽になった気がします。
Hari Om…
この記事を執筆した先生
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yuka先生 (ヨガ講師・バンスリ奏者)
ブログURL
http://s.ameblo.jp/aiiro-beniiro/インドを拠点にヨガとインド古典音楽の勉強を続けています。様々な形でアシュタンガヨガ、ハタヨガの指導。
・Tattvaa Yoga Shala-Ashtangayoga Teacher training 500hrs. (RYT500 取得)
・International Bansuri Academy 在学中